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ネオ・オーストリア学派の研究動向

 

橋本努

『経済学史学会年報』掲載稿

2002.11.

 

English Summary

 

Current Trends on the Neo-Austrian Economics

 

   The Symposium on Austrian Economics held at South Royalton, Vermont, in 1974 was a pivotal event for the revival of the Austrian School of Economics. Graduate students of New York University have initiated various interesting studies under the instruction of Israel Kirzner in the 1970s. According to Kirzner, the doctrinal vitality of the Austrian Economics was revived through Ludwig von Mises and Friedrich von Hayek and not through Fritz Machlup. Although a tension has been maintained between this group and neoclassical economics, it has created its own theories from within. In the 1980s, this school attracted interest in regard to its policy implications of so-called neo-liberalism. After the collapse of certain communist countries in 1989, this school was viewed as the main intellectual source for explaining why the ideology of socialism failed. Since the 1990s, this school has devoted its research to empirical matters and its methodological principles have been interpreted in a more pragmatic way. The Austrian Economists are now concerned with this school’s development rather than its justification.

   The core theory of the Austrian Economics lies in the fields "the knowledge theory" and "the process theory of the market." Roughly speaking, there are three major versions of the core theory in the recent development of the Neo-Austrian School of Economics. The first is the Rothbardian catallactic theory, which emphasizes rational actions in every transaction in the market and is less concerned with the coordination problem of the market. The second is the Kirznerian entrepreneurial theory, which emphasizes the capacity of alertness rather than the action itself, and devotes much concern to the problem of market coordination. The third is the Lachmannian kaleidic process theory, which emphasizes radical uncertainty and an ever-changing market process where the coordinating forces of the market are not sufficient for attaining a stable and conventional market economy.

   Based on these three versions of the Austrian theory, its current research proceeds in various directions. The basic question of this school regards how market order is possible under the condition of the insufficient coordination of the market process. The leading Austrians are now investigating this question from various points:  for example, R. Koppl's phenomenological and linguistic game theory, Y.B. Choi's convention-paradigm theory, D. Lavoie's hermeneutic theory, and so on.

   On the other hand, this basic question is related to the following question: how can we constitute a good condition for utilizing the function of "the invisible hand" for better growth of a society under the condition of insufficient coordination? D. Harper, P. Lewin, and so on now study this question. There is also a derived question regarding the ethics of a market economy, which M. Rizzo and L.Yeager are now studying.

 

 

 

 

T.はじめに

 経済学における限界革命の一翼を担ったオーストリア学派は,戦間期を通じてオーストリアの土地から離散し,その後は主流派の経済学の陰に隠れてパラダイムを喪失したかのようにみえた.しかし福祉国家政策の限界が露呈する1970年代以降,ケインズ経済学に対してとりわけ厳しい批判を投げかけてきたオーストリア学派の理論は,再び注目され始める.1974年にハイエクがノーベル経済学賞を受賞し,またミーゼスの弟子であるカーズナーとロスバードが気鋭の理論家として頭角をあらわすと,この学派は新たな勃興期を迎えることになった.同年に米国ヴァーモント州のサウス・ロイヤルトンで開かれたシンポジウムは,「ネオ・オーストリア学派」の誕生を記念すべき転換点を示している(Dolan 1976)

1980年代になるとこの学派は,一方では,レーガノミクスやサッチャリズムに代表される「新自由主義」政策の基礎理論という観点から評価され,他方では,ソビエトや東欧における社会主義の崩壊を説明する自由主義の根源的な理論を提示するものとして,新たな関心が注がれるようになる.ハイエク晩年の主著『法・立法・自由』1973-1979は,自由主義思想に進化論の息を吹き込み,ラヴォイ(Lavoie 1985a, 1985b)の研究は,資本主義と社会主義の体制選択問題(経済計算論争)に対して斬新な解釈を提出した.1986年に出版されたオドリスコルとリッツォの共著『時間と無知の経済学』(O’Driscoll and Rizzo 1985)は,オーストリア学派理論の新たな段階を切り開く橋頭堡となった.

そして1980年代後半以降,オーストリア学派の学術雑誌が新たに刊行され始めると,この学派はやがてそのパラダイムの拡張期を迎えることになる(Review of Austrian Economics (1987-),および, Quarterly Journal of Austrian Economics (1998-).この他にシリーズものの論文集として,Society for the Development of Austrian Economics, Advances in Austrian Economics, JAI Press1994年から今日まで五巻刊行されている).本稿では,1970年代以降のオーストリア学派について,その動向を跡づけてみたい.

なお,オーストリア学派を画す境界線は必ずしも明白ではないので,以下の紹介はオーストリア学派を自認する研究者に限定されないことをあらかじめ断っておきたい.また最近のオーストリア学派に「ネオ」,「現代」ないし「新」という接頭語をつけるかどうかは,論者によって異なる.私は1976年以降の新しい動向を「ネオ・オーストリア学派」と呼ぶことにしているが,その理由は「ネオ」という接頭語に「復活」という意味があるからである.オーストリア学派は新たな応用研究を展開する以上に,その基本的な教義を内生的に再構築することによって蘇った.この意味で現代のオーストリア学派は,ネオ・オーストリア学派と呼ぶに相応しいだろう.ただし以下では,とくに強調しないかぎり,紙面の都合で接頭語を省略しなければならない.

 

 

U.学派の自己解釈と自己創造

 1970年代に始動したネオ・オーストリア学派は,自らの研究パラダイムを明確にするために,とりわけ方法論と理論(市場プロセス論と知識論)に関心を寄せてきた.その初期には,「オーストリア学派とは何であるか」という自己主題的な研究が中心に据えられ,学派内部での一定の緊張関係を抱えつつも,新たな基礎理論が内生的に構築されていった(Caldwell and Böhm eds.1992, Spadaro ed. 1978, Grassl and Smith eds.1986, Rothbard 1997a, Kirzner 1982, 1985, 1989).他方では,オーストリア学派は自らの歴史を再認識するために,学派の基本内容や基本文献を標準化するという編纂作業を続けている(Kirzner ed. 1994, Littlechild ed. 1990, Gloria-Palermo ed. 2002).このうち最後の本は,およそ1970年代からごく最近までの主要文献を集めたものであり,この学派に対する関心の高まりを示している.また,ベッケ (Boettke ed. 1994)の編集による学生向けの学習手引きは,教育面におけるこの学派の体系化にも貢献している.学説史的な関心からこの学派を検討する研究も,いくつか現れている(例えばVaughn 1994).こうしてオーストリア学派は現在,基礎論研究・学説史研究・教材作成・論文集編纂などを通じて,研究プログラムを蘇生させている.

 1871年にカール・メンガーの『経済学原理』が出版されてから約60年間,オーストリア学派は独自の発展を遂げてきた.しかしその後は,ワルラス派やその他の経済学と合流して,いわゆる「主流派」と呼ばれる新古典派経済学に「吸収合併」されたようにみなされていた.例えば,1950年代から70年代に活躍した経済学者のマハループは,アメリカの地で「オーストリア学派出身の主流派経済学者」であることに誇りをもつことができた.この時点においては,オーストリア学派における方法論的個人主義,主観主義,限界主義,機会費用,生産構造の理論などは,新古典派の理論的基礎を提供するものとみなされていた.

確かにある意味では,オーストリア学派は主流派に吸収・統合されることに成功した.しかしその一方で,ミーゼスやハイエクの後期の思想的・政策論的な諸研究は,主流派の経済学に統合されない亜流として位置づけられてきた.ところが1970年代から1980年代にかけて,オーストリア学派はミーゼスとハイエクの反主流経済学を基礎としつつ,新古典派とは異なる発展を遂げていく.すでにハイエクは戦前から戦後にかけて,知識論や競争論の観点から新古典派経済学を批判する諸論文を提出し,またミーゼスは『ヒューマン・アクション』1949において独自のプラクシオロジー理論を築いていた.こうした二つの研究成果を受けて,カーズナーは「敏捷性(alertness」の概念に基づく企業家精神の理論を作り上げ,ロスバードはミーゼスのアプリオリズムとアナキズムの要素をいっそう強調したリバタリアニズムの理論を展開した.カーズナーによれば,こうした研究の進展は,亜流経済学者としてのミーゼスとハイエクが持っていた「教義の生命力」が展開したものに他ならない.それは「発見と学習のプロセス」や「不確実性の下での選択」といった着眼点を探求していくという研究の生命力であり,とりわけ70年代にニューヨーク大学の大学院においてオーストリア学派を専攻した大学院生たち(ベッケ,ホワイト,イケダ,ラヴォイなど)によって,カーズナーを経由して担われていった.すべてこうした研究潮流は,新古典派経済学では市場の現実を記述できないとする現実主義的・実在論的な関心に基づいて展開されてきたものであり,新古典派との対抗関係を意識的に利用しつつ,この学派は内生的な創造を遂げることに成功した.

1989年における旧共産主義圏の崩壊以降,思想信念上の主要な敵を失ったオーストリア学派は,その研究プログラムをよりプラグマティックな方向へと旋回させていく.同時に主流派経済学もまた,理論よりも制度機構の具体的な研究を重視するようになっていった.1970年代におけるオーストリア学派の再生期には,方法論的・学説史的な問題が中心テーマとなっていたが,それから20年を経てこの学派は,方法論をプラグマティックに受け止めて,経験的な研究を発展させている(cf. Boettke 2001, Ch.2.における方法論のプラグマティズム的解釈を参照).そこで以下では,原理論と応用研究の両方の展開について,順に紹介していくことにしたい.

 

 

V.原理論をめぐる論争の展開

 オーストリア学派の原理論とは,「市場のプロセス理論」と「知識論」の二つを柱とする市場経済の哲学的な研究をいう.従来の新古典派経済学においては,静学的な均衡状態のみを分析の対象とするあまり,市場の動態がもつ意味を理解する手段を欠いてきた.オーストリア学派は,そうした均衡理論の限界を指摘しつつ,市場の不均衡状態や動態がもつ意味とその政策論的含意を解明してきた.一般に,ネオ・オーストリア学派の理論的基礎は,ミーゼスを継承したカーズナーの企業家精神論(Kirzner 1973)にあると見なされている.しかしカーズナーの理論は,それ自体が学派内部でのはげしい批判にさらされてきたのであり,必ずしも教義のコアとして共有されているわけではない.

 カーズナーによれば,裁定取引に代表されるような,敏捷性に基づく企業家精神の発揮は,市場経済を円滑に調整するためのすぐれた機能を果たしている.もしある売り手が悲観的で,商品を均衡価格よりも低い価格で販売しているならば,企業家はその商品を安く買って消費者に対して高く売ることができる.この場合,その売り手は均衡価格を知らないという「無知」(不確実性とは区別される)の状況におかれていると想定され,これに対して企業家はその無知を克服するための敏捷性の能力を備えているとみなされる.敏捷性の能力は,目的手段の枠組においては捉えられず,したがって最適化したり合理化したり,あるいは学習したりすることもできない能力である.しかしそうした能力は、市場経済における利潤追求動機によってうまく発揮されうる.カーズナーの卓越した洞察は,克服しえない無知というものが存在する現実社会において,行為の最適化のみによってはすぐれた市場調整を達成することができない,という点を明快に指摘した点にある.そしてカーズナーはこの問題を「敏捷性」の理論によって説明した.人間社会においては「目的を発見する能力」に差があると考えるカーズナーは,企業家精神を発揮して目的を発見できる人間と,「与えられた目的」に沿って行為する人間という,二つの人間類型を想定する.そしてこの区別に基づいて,企業家が生産に基づかない利潤を得ることを正当化しようと試みた.

 これに対して,例えばロスバードは,市場における交換経済(カタラクティクス)の基礎が「人間の合目的的な行為」におかれるべきだとするミーゼスの主張を強調して,カーズナーの「敏捷性」の概念は,人間行為のカテゴリーとは関係のないものだとみなしている(Rothbard 1997a: 111-172, 1997b: 245-253).敏捷性とは,ある目的に対する手段の合理的な選択に関わる能力ではなく,目的そのものを発見する能力である.しかしロスバードによれば,カーズナーの議論(Kirzner 1973)は,新古典派経済学の文脈にオーストリア学派の企業家論を無理やり位置づけようとするあまり,行為者を受動的なものとして捉え,しかもそこには不確実性が想定されていない.したがってカーズナーのいう企業家は,リスクを引き受ける存在ではなく,したがって企業家的損失を説明することができないという.これに対して現実の経済社会においては,あらゆる個人が各自の目的を発見して合理的に行為するのであり,交換経済はそうした合理的な個人に基づいて正当化されるものでなければならない,とロスバードは主張する.また,ロスバードは企業家精神を,確率論的には表現し得ない不確実性(リスク)を引き受ける資本家として想定する点で,F・ナイトの企業家論を肯定的に継承するが,これに対してカーズナーは,ナイトの理論が個人の企業家を想定していないこと,また企業家精神に基づく利潤取得の正当化論を提供し得ないことを批判している(Rothbard 1962, Kirzner 1989)

カーズナーは「敏捷性」の能力が市場における需給のすぐれた調整をもたらすというが,ロスバードの人間行為学の観点からすれば,市場は行為の前提であって,それがすぐれた社会調整をもたらすかどうかは,問題ではない.市場経済の原理的な擁護論は,調整問題とは区別される.言い換えれば,カーズナーにおいては,なぜ市場経済が計画経済よりもすぐれた「調整」を達成しうるのかということが問題になっていたが,ロスバードにおいては,調整問題は重要ではなく(したがってこの点では市場アナキズムの立場をとる),むしろ個人の合理的行為という理念から,交換の正義を実現する場としての市場というものを倫理的に擁護することが問題となっている.したがってカーズナーとロスバードとでは,同じ市場経済を擁護するとしても,その市場像がまったく異なるのである.

 カーズナーの理論は,他方ではシャックルの経済思想をオーストリア学派に導入したラックマンによっても婉曲に批判されてきた(cf. Lachmann 1994:204, 236).カーズナーの最初の理論は,静態的な価格理論における価格調整の問題を説明するものであり,そこでは情報に対する当事者の「無知」が想定される一方で,「不確実性」の問題は存在しないとみなされている.後にカーズナーは,自身の理論に不確実性を導入しているが(Kirzner 1985: 40-67),しかし「不確実性」の意義を強調する場合,はたして市場の均衡化傾向という「調整」作用をどこまで信頼しうるのか,ということが問題となる.カーズナーは,企業家の活動というものが,「現在の不確実性」によって引き起こされるのか,それとも「人々の過去の経済活動の誤り」によって引き起こされるのか,という問いを立てて,前者における静学的な関心と後者における動態的な関心のあいだには緊張関係があることをみとめつつも,しかし両者の説明は深いところで同一であるという.つまり,現在の不確実性は,過去の誤りが見えないということに起因するのであるから,現在の不確実性のもとで発揮される企業家精神は,カーズナーの既存の議論を拡張すれば説明できるというのである.企業家は基本的に,利潤動機にもとづく行為によって市場を調整する作用をもたらすのであり,不確実性の下でも,その均衡化傾向に大きな問題は生じないと考える.

これに対してラックマンは,市場経済における根源的な不確実性や期待の流転がもたらす不均衡化の影響を深刻に受け止め,諸市場はそれぞれの文脈に応じて調整能力に違いがあること,とりわけ資本市場においてはカレイディック(万華鏡的)な不均衡化過程が見られると主張した(cf. Lachmann 1986: 3, 29, Lachmann 1994: 229-241).ラックマンのカーズナー批判は,主としてカーズナーの最初の静学的な理論に対する批判であるが,その射程は後のカーズナーの議論にも及んでいる.

ここで注意しなければならないのは,カーズナーが市場の本質的な意味を「把握(conception)」することに研究の焦点を置いているのに対して,ラックマンは現実の多様な市場「現象」の意味を「理解(understanding)」することに焦点を当てていることである.しばしばオーストリア学派は,新古典派の数理的な理論に対して,自らは「市場過程の意味」を探求するのだと主張してきたが,カーズナーとラックマンの間には大きな方法論的相違がある.すなわち,前者がミーゼスのいう把握的方法を継承するのに対して,後者はむしろ本質への問いを括弧に入れる点で現象学的である.この現象学的なアプローチからラックマンは,市場がめまぐるしく流転すること,例えば,フィードバック機構に基づく均衡化制御というものが不完全な現象に焦点を当てていった.

ラックマンの議論に対してカーズナーは,その急進的な思考がかえって企業家精神の積極的な意義を見失ってしまうと批判する(cf. Kirzner 1985: 67, 2000: 50).すなわちカーズナーによれば,現実の市場経済はラックマンのいうようなカオスに至るものではなく,そこにおいて企業家精神が発揮できなくなるような,救いがたい状況にあるわけではない.現実の市場には,敏捷性に基づく企業家精神を発揮しうる条件がある.そしてそうした条件の下で,企業家の活動は,市場を均衡化へと向かわせる傾向にある.たとえ社会的条件がめまぐるしく流転するとしても,人々の活動はそれによって完全に影響を受けるのではなく,企業家精神という内生的な原因によって社会の調整をもたらすことができる,というのである.カーズナーはこの議論を,現実を説明する理論としてよりもむしろ,利潤取得の正当性をめぐる規範理論として発展させている(Kirzner 1989)

本稿ではこの論争の全貌を説明することができないが,いずれにせよこの論争は,市場像(ないし市場経済を認識する際の方法論的思考)に関わる根本的な問題を提起しており,当時もその後も,オーストリア学派内部で多くの論者によって検討されてきた(例えば,O’Driscoll and Rizzo 1985, Vaughn 1994, Gloria-Palermo 1999, Lewin 1999, Gloria-Palermo 1999を参照).こうした多くの論者たちは,ラックマンの市場像に共感を寄せるか,あるいはラックマンほど急進的な立場をとらないとしても,カーズナーのいう均衡化傾向に対しては一定の距離をおいてきた.その理由はおそらく,カーズナーの議論においては,市場の調整能力が企業家の力能のみによって説明され,制度条件の問題が一般的なレベルでしか捉えられていないからであろう.現代のオーストリア学派はこれに対して,市場の制度論へと考察を進めるために,原理論の問題を次のように変化さてきたとみることができる.すなわち,カーズナーやハイエクにおいては,「不完全な知識しかもたない諸個人の間で,いかにして市場調整は可能か」ということが問題とされたが,現代のオーストリア学派は,「不完全な調整しか達成しない市場社会において,いかにして秩序は可能か」,あるいはまた,「いかにして人々の潜在能力を社会発展に結びつけることが可能か」という問題を中心に据えている.

 いかにして市場の秩序は可能かという問題は,暗黙裡に,ロスバードやラックマン流の市場アナキズム的な立場を退けることを前提としている.市場経済は,たんなるカタラクティクス(交換経済)でもなければ,たんなるカレイディクス(めまぐるしく流転する万華鏡)でもない.だとすれば,いかにして市場は秩序を形成することができるのか.こうした問いは,市場には「神という超越的な見えざる手」が有効に働く条件があるはずだとする,一定のマクロコスモス的な関心を前提としている.例えばコップル(Koppl 2002)は,シュッツの社会現象学とヴィトゲンシュタインの言語ゲーム理論を援用した市場秩序論を展開している.またチェ(Choi 1993)の研究は,慣習を市場秩序論の基礎に据えて論じたものであり,カーズナーの企業家論を補う位置にある.さらに,ラヴォイ(Lavoie ed. 1991, etc.)の研究は,オーストリア学派の理論的基礎を,アプリオリな公理ではなく,解釈する人間の営為によって説明するものであり,解釈の文脈依存性ないし制度依存性の問題から,秩序論を展望している.アトミズム(存在論的個人主義)ではない,文化的意味世界の中で解釈的自律性をもつ存在として人間を捉えるラヴォイの立場は,例えばアドルソン(Addleson 1995)の経済哲学研究にも影響を与えている.そこでは,均衡概念を用いた市場秩序論が批判され,「理解」や「解釈」といった人間の営みの実践が社会の秩序をもたらすことが論じられる.またカーズナーに対して批判を投げかけるヴァンバーグ(Vanberg 2001)は,自己組織性の観点から新たな市場秩序論を模索している.この他に,知識論においてはトムセン(Thomsen 1992)が,新古典派の知識論やサイモンの限定合理性どの概念を批判しながら,オーストリア学派の知識論的特徴を明らかにしている.

 このように,オーストリア学派の市場秩序論は現在,さまざまな観点から原理論的な記述が目指されている.ただし他方では別の流れとして,ロスバードを継承するハンス・ヘルマン・ホッペが,リバタリアニズムの観点から市場の哲学を展開している(Hoppe 1993, 2001).いずれにせよ,秩序の可能性という問題は,いかにしてその秩序を発展させることができるかという成長論の問題と密接に結びついている.秩序の可能性をめぐる探求は,必ずしも社会の安定性条件の探求であるわけではなく,現代のオーストリア学派は,不完全な調整社会こそが創造的発展の条件であるとする観点から,「神の見えざる手」をいわば戦略的に条件づける方向へと議論を模索しているようだ.例えば,ハーパー(Harper 1996, 2003)は,ポパーの批判的合理主義を企業家論に導入し,経済発展論の観点から新たな企業家精神論を構築している.また同様に,デレオン(De Leon 2001)は,ラテン・アメリカの経済統制を改革するための戦略的な指針として,オーストリア学派の経済理論を導入している.この他にも,レーウィン(Lewin 1999)は,潜在的な人的資本という考え方をオーストリア学派の資本理論に導入し,コルダート(Cordato 1992, 1993)は,市場におけるカタラクティックな効率性という観点から厚生経済学の理論前提を批判的しつつ,社会的費用や公共政策の問題について論じている.以上のような研究において前提となっている問いは,社会の不安定性要因を安定化させることではなく,むしろ不完全な調整を前提として,経済発展を戦略的かつ制度的に条件づけていくことである.

もっともこうした議論は,経済成長のための戦略論議を提供するための理論にすぎないという倫理的批判もありうるだろう.それは例えば,市場主義とグローバリズムの脅威に対する反市場と反グローバリズム運動の倫理的優位であるとか,富める者と貧しき者の経済格差がもたらす不公正感に基礎をおく市場経済批判である.これに対してオーストリア学派は,市場経済を倫理的なレベルで擁護するという方向にも研究を進めている.コーワンとリッツォ(Cowan and Rizzo eds. 1995)によって編集された『利潤と道徳性』では,カーズナーによる利潤の正当化論の他に,政治哲学の観点から利潤所有の正当性について論じた諸論文が収録されている.またオーストリア学派とは少し距離を置いているが,ミーゼスの英訳者としても知られるイェーガー(Yeager 2001)は,『社会科学としての倫理』の中で経済倫理学を展開している.この他にもいくつかの研究がみられるが,オーストリア学派の経済倫理学は,一方では,効用,厚生経済,功利主義,利己主義,利潤などに関する検討を加えつつ,他方では既存の経済理論に対する批判を試みながら,善き生活を追求するための社会的条件として,官僚機構を批判する傾向にある.その際、例えばハイエクがコミュニタリアンであるという見解は,個人や政府に還元されない中間組織の倫理的意義を強調するものとして,オーストリア学派の中でも一定の支持を得ているようである.

 

 

W.個別研究の動向

オーストリア学派の原理論的研究が市場の秩序論へと展開する一方で,個別の分野ではさまざまな研究がなされてきた.まず方法論の分野において,コーワンとリッツォ(Cowan and Rizzo 1996)が提出した発生的因果性の議論は,マイヤーの議論を継承するものであり,オーストリア学派の行為論の基礎をはじめて明確に示したものとして注目される.またオーストリア学派の方法論的基礎を認識論の観点から検討したものとして,イタリアではクベドゥ (Cubeddu 1993)による周到な研究が提出された.マルクス研究でも知られるオークレイ(Oakley 1998, 1999)は,経済学方法論における最近の諸成果からオーストリア学派の方法論と理論を検討している.

 次に学説史の分野では,いくつかの興味深い研究が提出されてきた.特筆すべきはロスバード(Rothbard 1995a, 1995b)の研究であり,これはオーストリア学派の立場から書かれた,はじめての通観的な経済学史研究である.またカーズナーは退職に際して,彼の師であるミーゼスについての書物を著した(Kirzner 2001).あるいはアンドレス(Endres 1997)は,オーストリア学派の主観主義効用学説を新古典派の発展を担う一つのバージョンとして,その位置を明確にする研究を提出している.同様に,マチョベック(Machovec 1995)は,オーストリア学派の理論が学説史的にみて完全競争の理論とは区別される古典派の流れにあることを論じている.この他,ミーゼスのプラクシオロジー研究と,ポーランドにおいて独自の発展を遂げた別のプラクシオロジー学派との共同研究成果をまとめたものとして,オースピッツ他(Auspitz et al. 1992)がある.また,ハイエクが1947年に創設した自由主義者の世界的なネットワークである「モン・ペルラン協会」に関する学説史的研究(Hartwell 1995)も,オーストリア学派の歴史を知る上で重要であろう.

第三に,旧社会主義圏の経済問題に関する経験的・理論的研究がある.ベッケ(Boettke 1990, 1993, 2000)は,ソビエト連邦共和国の形成期に関する経験的な研究,また資本主義への移行過程の研究において,オーストリア学派の応用研究を発展させている.現存した共産主義経済は「重商主義」のシステムであったこと,そしてこの段階から市場経済に移行する過程において,暗黙知の文化的文脈が形成されないままにIMFの強硬な介入がなされていくことを,批判的に検討している.

 第四に,独占の理論に関する研究がある.アルメンターノ(Armentano 1990, 1999)は,市場における自然独占を容認し,反トラスト法(米国独禁法)の廃止を主張している.

 第五に,市場の失敗と干渉主義に関する理論的研究がある.ロスバード(Rothbard 1977)は『権力と市場』において干渉主義の諸類型について論じ,コーウェン(Cowen 1988)は『市場の失敗の理論』を著した.イケダ(Ikeda 1997)は,政府の肥大化を自生的な現象として説明する理論を提出し,またリトルチャイルド(Littlechild 1979, 2000)は,イギリスの文脈で混合経済批判と民営化の論理について研究を発展させた.この他にもオーストリア学派は,個別研究として,航空産業の自由化,電力供給の自由化,高速道路料金体系の自由化,都市計画の自由化,インサイダー取引の自由化,女性企業家への支援策等など,さまざまな自由化論の理論的・実証的な研究をすすめている.

 第六に,企業家論および組織論の研究において,先に触れたハーパーの研究のほかに,ソテー(Sautet 2000)は,カーズナーの理論に組織論の観点を導入し,現在はニュージーランドの大蔵省に勤務しつつ,産業の自由化政策論へと研究を進めている.またオーストリア学派の経済理論から出発したフォス(Foss 1994)は,その知見を企業組織論に応用し,資源ベースの組織論やコンピタンス理論などとの融合を企てている(Foss and Knudsen eds. 1996, Foss ed. 1998, Foss and Loasby eds. 1998, Foss ed. 2000a, 2000b, Foss and Klein eds. 2002).フォスを中心とするこれらの研究成果は,デンマークにおけるビジネス・スクール(DRUID)を拠点になされており,現在,ヨーロッパ大陸においてもオーストリア学派の研究が精力的に発展していることを示している.

 第七に,オーストリア学派は金融論において大きな成果を上げてきた.ホワイトはイギリスにおける通貨論争を歴史的に検討しつつ,通貨主義,銀行主義と並ぶ第三の立場としてフリーバンキング学派があることを論じて注目を浴び,その後は包括的な理論的研究を提出している(White 1984, 1989).またホワイトの弟子に当たるセルジン(Selgin 1988, etc.)は,通貨供給量一定政策を主張して,経済発展に伴う通貨価値下落を容認する議論を展開している.この他にも,ダウド(Dowd 1989, Dowd ed. 1992)やグラスナー(Glasner 1989)などの研究が提出され,フリーバンキング論は盛んに研究されている.フリーバンキング論とはやや異なるが,ホーヴィッツ(Horwitz 1992, 2001)は,貨幣と言語の秩序論から出発して,最近では貨幣均衡の理論的検討から通貨供給量の安定化政策を主張している.

 最後に,景気循環論の研究において,ギャリソン(Garrison 2001)は,長年の研究成果をまとめて,現在ネオ・オーストリア学派の中で最も読まれているといわれる『時間と貨幣』を出版した.そこでは,生産フロンティア曲線が導入され,これによってオーストリア学派の景気循環理論が,統一的な理論へと発展させられた.その意義は,これまで特別視されてきたオーストリア学派の景気循環論を他の諸学派の理論と比較検討することが容易になるかたちで定式化を試みた点にある.この他に,コーウェン(Cowen 1998)は,旧オーストリア学派とネオ・オーストリア学派の景気循環論の区別を明確にする研究を提出している.

 以上,八つの研究分野に分けて個別研究の動向を紹介したが,紙面の都合で紹介できなかった研究も多いことを,最後に記しておきたい.

 

 

 

参考文献

 

Addleson, Mark, 1995. Understanding versus Equilibrium, London: Routledge.

Armentano, D.T. 1990 Antirust and Monopoly: Anatomy of a Policy Failure, New York: Wiley & Sons, 2nd edition (1st edition 1982).

―――― 1999 Antitrust: The Case for Repeal, Washington: Cato Institute, 2nd edition (1st edition, 1986).

Auspitz, J. Lee, Wojciech W. Gasparski, Marek K. Mlicki and Szaniawski Kemens (eds), 1992. Praxiologies and the Philosophy of Economics: the International Annual of Practical Philosophy and Methodology, vol.1, London: Transaction Publishers.

Boettke, Peter J., 1990. The Political Economy of Soviet Socialism: The Formative Years, 1918-1928, Boston: Kluwer Academic Publishers.

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